硬式野球部 4年生引退コメント(第3部)
2022年3月23日に駒澤大学にて卒業式が行われた。
卒業された野球部4年生の選手、学生コーチらに引退コメントを頂戴したので、第1部~3部に分けて掲載する。
*取材日は21年秋リーグ戦直後
第3部
- 森田遥輝さん
- 栗原侑太さん
- 西山大登さん
- 関原健人さん
――今の気持ち
「5歳からしていた野球が終わったという事実を感じ始めている。人生の8割が野球だったので今は寂しい」(森田)
「寂しさは、とてもある。でもまだ野球を続けるので、もっとがんばらんといけんなとも思う」(栗原)
「やり切った気持ち」(西山)
「同期がこのメンバーで本当に良かった」(関原)
――どんな4年間だったか
「OB会、後援会、ブルーペガサス、コマスポなど本当に多くの方々に支えて頂いた4年間だった。駒大野球部としても4年目は転換期を迎えたと思っているのでその1年をチームの中心とした活動できたことは非常に嬉しく思う。優勝は出来なかったが来季優勝への道筋は創れたと思う。人生において忘れられない4年間だった」(森田)
「あっという間だった。毎日当たり前のように野球ができて、充実した環境があって、指導者、多くの先輩方、同級生、後輩に恵まれて、ホントに幸せだったし、多分これから先の人生では2度と体験することないくらい最高の4年間だった」(栗原)
「たくさんの仲間に出会うことができて、同期と共に苦楽を共にして日本一を目指して頑張ることのできた4年間だった」(西山)
――4年生としての1年間はどのようなものだったか
「チーフコーチとしてチームの中心でチーム運営を行なってきたが、4年生になっての一年間はチームの転換期となっており、応援に来てくださる方からも『チームの雰囲気が変わったね』と言ってくださったり、記者やOBの方など多岐にわたる方々からもプラスになる印象を持って頂いたりと嬉しかった。だがそこに至るまでは1年生のときよりもしんどかった」(森田)
「最後の1年間は4年間で1番早く感じたけど、その分充実していたし、少し自分を褒めてあげたい。最後まで引退せずに続けると決めてからは毎日必死だった。旬希や森田、海ちゃんみたいに、周りやチームのために行動したり、発言したりする余裕がなかったので、自分らしく元気なキャラで練習することくらいはと思っていた。秋にベンチ入りできてホントに嬉しかったけど、やっぱり『秋こそは』とみんなで言っていたので優勝したかったし、悔しさは1番強かった」(栗原)
「とにかく後悔を残さないように日々を過ごすことができて、優勝出来なくて悔しい気持ちもあったが4年間で1番濃い時間だった」(西山)
――コロナ禍でどのように練習?モチベーションを維持したか
「3年生の春の時はリーグ戦がなくなり、本当にリーグ戦がなくなることがあるという驚きと虚無感があった。4年生時もまったく分からない中でオープン戦も中止になり選手のモチベーションを維持させることは難しかったが、野球ができない辛さを知っている分、野球が出来る為に学校関係者、監督コーチの方々が動いてくださっていることに感謝すれば自然と全体的にモチベーション高く取り組めていた」(森田)
「体調に気をつけるのが1番大事だけど、普通の練習だと周りには追いつけないし、逆に自分の技術をとことん上げられるチャンスの時間だと思って過ごしていた」(栗原)
「短い時間の練習しかできなかったが、短い分集中してとにかく優勝というところだけを見ることでモチベーションを維持できた」(西山)
「練習終わりのビール」(関原)
――最後の秋リーグにはどんな気持ちで臨んだか
「18年の野球人生が終わる最後の野球だったので、初めは実感がないものの終盤になるにつれて少しずつ終わりを感じていた。四年間で優勝決定戦、入れ替え戦、リーグ戦中止と様々な経験の末、ブルーペガサスさんやコマスポさんなどどんな環境下でもサポートして頂いた方々に優勝という恩返しをしたかったので、人生で1番野球に時間と労力をかけたリーグ戦だった」(森田)
「初めてベンチ入りして、正直、最初の中央戦は吐きそうなくらい余裕がなかったけど、少しでもチームのために自分がやれることをやろうと思っていた。もちろん最後だし、優勝して神宮大会も優勝できるとおもっていたし、そのために何ができるか、4年生として何を求められているか考えて、その中で駒澤の野球を楽しもうと思っていた」(栗原)
「とにかく後悔を残さないようにという気持ちだけを持って臨んだ」(西山)
――印象に残っている試合や場面は
「4年秋の國學院2戦目(21年秋)。最終回まで福山の完璧な投球で勝っていたにも関わらず最終回に追い込んでからインコースが甘く入った。たった一球の失投で逆転サヨナラ負けし、リーグ戦を終えた頃にはその一戦で優勝を逃していて、戦国東都、野球の怖さ、厳しさを改めて思い知らされた」(森田)
「1年生の秋の東洋戦の9回2OUTランナーなしから2点差を追いついた試合(18年秋)と、今秋の亜細亜大2戦目(21年秋)。1秋の東洋戦は、戦国東都の厳しさ、粘りの駒澤の象徴だと思った。今秋の亜細亜戦は、シンプルに嬉しかったのもあるが、1人1人が繋いで、粘って、ずっとやろうと言っていた野球ができていたと思うから」(栗原)
「秋のリーグ戦の初戦で鵜飼がホームランを打った場面(21年秋)。シンプルに衝撃な一発だった」(西山)
「鵜飼くんのフェン直を取りに行って、フェンスに激突したこと」(関原)
――監督から言われたことで、印象に残っていることはありますか
「礼?明?慮」(森田?関原)
「結果が出なくても、継続して何かをしていれば、その姿勢を誰かが見てくれている。評価してくれる」(栗原)
「秋にずっと言われ続けていた『目つけ』という言葉。目標や目的を常に意識し続けるという意味のようなことだった」(西山)
――進路は
「就職」(森田?西山?関原)
「社会人野球(大福ロジスティクス)を続けます」(栗原)
――野球を続ける、もしくは辞めることを決断したきっかけ、理由
「母校、地方の大学から指導者としてのお話は頂いていたが野球から一度離れ社会を知りたいと思った。ゆくゆくは母校で指導者として戻れたらいいなとは思う」(森田)
「野球ができるのならとことん続けたいと思っていたし、地元九州で続けて、野球をしていることで少しでも親孝行をできればいいなと思っていた」(栗原)
「15年間野球を続け、13年目で野球が苦手だと気づいたから」(関原)
――後輩たちに伝えたいこと、期待することは
「新たなチームの基盤は作れたと思うので、何としても優勝を期待しています。優勝だけの報告待っています」(森田)
「全てに期待しかしません。がんばってほしい。ありがとう!」(栗原)
「期待することはとにかく勝つこと。強い駒澤を作ってほしい」(西山)
「朝練頑張って」(関原)
――同期に一言
「この代だったからこそチームを変えることができたし、この代だったからこそ駒澤により良い文化を作ることができました。ありがとう」(森田)
「4年間ホントにありがとう!大人になってもまた、集まりましょう!」(栗原)
「4年間ありがとう!同期はいつまで経っても同期なのでこれからもよろしくお願いします」(西山)
「またいつかみんなで集まって飲みにいきましょう!」(関原)
――駒大硬式野球部とはどんなものか
「大人にさせてくれた場所」(森田)
「1人の人間としても野球人として大きく成長できる場所。人生の宝物です」(栗原)
「自分を成長させてくれるもの」(西山)
「躾」(関原)
頂戴した引退コメントはこれで全てになります。
卒業された駒大野球部4年生の皆さん、この度はご卒業誠におめでとうございます。大学での、4年間の現役生活お疲れ様でした。
皆さんの今後のご活躍をコマスポ一同、心よりお祈り申し上げます。