「他喜力」をモットーに、練習に励んでいます
バンクーバーパラリンピック アイススレッジホッケー銀メダリスト
馬島 誠 さん
- バンクーバーパラリンピック アイススレッジホッケー銀メダリスト 馬島 誠 さん
- 1971年長野県生まれ。1997年法学部卒業。在学時の大事故により車いす生活となるも、アイススレッジホッケー(※)と出会い日本代表として活躍。2006年トリノ、2010年バンクーバーパラリンピックに連続出場し、バンクーバーでは銀メダルを獲得した。卒業後にセイコーエプソン株式会社に勤務していたが、2016年5月にEY税理士法人に転職。アスリートとして活躍する傍ら講演会なども行う。
アイススレッジホッケー元日本代表として活躍し、現在は別の競技で2020年を目指している馬島さんに、大学の思い出や競技にかける思いを伺いました。
駒大進学のきっかけは?
建築に関わる仕事がしたいと思い、長野から東京に進学しました。法学部を選んだのは資格取得に有利だと感じたからです。体を動かすことが好きで、学生時代は剣道や神道夢想流杖道といった武道の稽古に励んでいました。
アルバイト中に大事故に遭われたそうですね。
3年生のときアルバイトをしていた会社での測量作業中、66,000ボルトの高電圧電線に接触し、感電事故に遭いました。何とか一命は取り留めたものの2 ~ 3週間意識が戻らず、3回の植皮手術とリハビリで丸1年入院しました。事故に遭った当初は、「なぜ自分が」という気持ちで毎日泣いていました。しかし家族や友人たちに支えられ、トイレにいくなど自らの力でできることが増えるうちに、少しずつ前向きな気持ちになっていきました。
両足に障がいが残ったまま大学に復学したのですが、大学の先生や職員の方が、私が履修する科目の教場を足が不自由でも移動できるよう特別に配慮してくださいました。「これは大学を裏切れない!」と思い、3?4年の成績はオール「優」。1?2年は「可」?「不可」ばかりだったんですよ(笑)。
アイススレッジホッケーとの出会いを教えてください。
卒業後就職して太ってしまい、健康のために勧められたのがきっかけです。最初はリハビリのスポーツだろうと思って見学に行ったのですが、予想以上に激しい競技でした。勝つために真剣勝負をしていることが伝わってきて、素直に「やりたい!」と思いましたね。パラリンピックの正式競技でしたから、私も他の選手と同様に日本代表を目指しました。筋トレも取り入れ、許される時間は全て氷上の練習に注ぎ、誰よりも長く練習しようと必死でした。
パラリンピックに2大会連続出場 されましたね。
左肩を亜脱臼する怪我に悩まされ手術をしながらも、トリノパラリンピックの数カ月前の最終選考で初めて日本代表になることができました。2006年のトリノでは5位。 監督の「RESPECT&CONNECT」というスローガンを胸に練習を重ね、4 年後に繋げました。バンクーバー大会の準決勝戦で開催国のカナダと戦うことになったのですが、金メダルの最有力候補でした。緊張する私たちに監督が「前回の成績5位を既に上回っているんだぞ!」と鼓舞してくれ、この戦いに勝利できました。この勝利は日本で大きく報道され、決勝戦ではパラリンピック史上初めてNHKが試合を生中継してくれました。これは本当に嬉しかったです。結果は銀メダル。監督にはメダルが授与されないので、選手が貰った15個すべてを監督の首にかけ、喜びを分かち合いました。
2020年を別の競技で目指すとは?
バンクーバーパラリンピックが終わって数年後、アイススレッジホッケーでの自分自身の限界を感じていましたので日本代表からは引退しました。ただ、もう少し何かやってみたいと思っているなかで、2020年が東京開催と決まりました。「力」には多少の自信があったので、パラ?パワーリフティングという競技で2020年を目指してみようと考えてみました。すぐになんとかなるだろうと思っていましたが、その考えは甘かったです(笑)。この競技は、いわゆる「ベンチプレス」なんですが、ベンチ台に仰向けに横になって、高重量の重りがついたバーベルを胸まで下げて、一旦止めて、挙げるだけという一見単純動作に見えるますが、パラリンピックの場合はすべての動作において「一瞬のブレ」も許されず、芸術的な動作をしないと成功とされません。現在は97Kg級で141Kgの日本記録を保持していますが、パラリンピックに出場するためには日本で1番だけではダメ。世界ランキングの10位以内。少なくとも190Kg以上挙げなければならないので、無謀なチャレンジと思いながらも、毎日必死にトレーニングしています。
現役学生に向けてメッセージをください。
私は「他喜力」を常に意識しています。メンタルトレーナー 西田 文郎 さんの言葉で、「目標に到達するためには自らの努力はもちろん必要だが、それ以上に周囲や仲間を笑顔にすることを第一に考えなさい」という意味です。周囲のために何かをすると、最終的にすべて自分に返ってきます。仲間が喜ぶ良いパスを出せば、良いパスが返ってくる。仲間のミスにも寛大になれる。必要なときに、自分が必要とする人物と出会うこともできると感じています。これを実践するのはそれほど難しくありません。「感謝の気持ち」を大事にするということです。私は壁にぶつかったとき、「ありがとう」と100 回以上呟きます。そうすると自然と感謝したい人の顔が浮かび、「この人たちのお陰でここまで来られたのだ」と思えるようになります。この気持ちが仲間への『信頼』になり、『自信』に繋がっていきます。皆さんも、人との出会い、そして仲間を喜ばせる気持ちを大切にしてください。
(※)アイススレッジホッケー???下肢に障がいを持つ人のために、アイスホッケーのルールを一部変更して行うスポーツ。スレッジと呼ばれる専用のソリに乗り、左右の手にスティックを一本ずつ持ってプレーする。選手同士の体当たりが認められており「氷上の格闘技」とも呼ばれる。
※ 本インタビューは『学園通信309号』(2013年10月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものを一部変更しています。