三味線をより身近な楽器にすることが夢です
津軽三味線奏者 白藤 ひかり さん
- 津軽三味線奏者 白藤 ひかり さん
- 1990年福岡県生まれ。2012年文学部国文学科卒業。9歳より津軽三味線を始め、全国大会女性部門A級を最年少で優勝し、翌年には2連覇を果たすなど、様々な大会で素晴らしい成績をあげている。また本学在学中にデュオ「輝&輝(きき)」を結成。全日本津軽三味線競技会デュオの部で優勝6回。現在は定期的にライブハウスで演奏を行う他、東京都のヘブンアーティストとして上野公園や浅草で路上ライブをしている。曲目は、古典民謡からPOP?ロックを取り入れたオリジナル曲、カバー曲まで幅広い。
2013年5月4日(日)に第7回津軽三味線日本一決定戦で3位に輝いた白藤さんに、大会の感想や津軽三味線にかける思いを語っていただきました。
津軽三味線日本一決定戦3位獲得おめでとうございます。
ありがとうございます。4回目の挑戦だったのですが、今大会は3位になることを目標にしていたのでとても嬉しかったです。全国大会は、三味線の独奏のみで審査されるものが多く、若手の登竜門という意味合いが強いんです。ですが、この大会は、独奏で技術を披露する「曲弾き演奏」と民謡に合わせる「唄づけ伴奏※」の総合得点で審査されます。出場者はベテランの方が多く、同じ場で演奏するというだけで緊張してしまうほどレベルの高い大会です。
※ 唄づけ伴奏...プロの唄い手の伴奏を行う審査。曲目は、津軽五大民謡(じょんから新節?あいや?よされ?小原?三下り)の中から各出場者が演奏直前にくじを引き、決定される。
若くして3位というのは素晴らしいですね。
嬉しくもあり、プレッシャーも感じます。次の大会で順位を下げられないという思いと、大会の結果を知ってライブに来るお客さんは、私の演奏に期待していらっしゃいますから。
津軽三味線を始めたきっかけは何ですか。
祖母の影響で9歳から始めました。それまで楽器を触ったことがなく、母に習いたいと言ったら最初は「高価だから駄目!」と言われて(笑)。1年間は祖母から三味線を譲ってもらい、調弦や譜の読み方を習って、独学で練習しました。教室に通うことができたのは2年目になってからですね。たまたま近くの三味線教室が「津軽三味線」だったことがきっかけなんです。
小学5年生から全国大会に出場したのですが、自分よりも年下の子の実力を目の当たりにして、その悔しさで練習に励みました。初優勝したのは中学1年生のときです。その後、神戸から大阪を中心に、仲間数人で路上やステージでの演奏をするようになりました。
大学在学中の思い出を聞かせてください。
進学先に駒澤大学を選んだのは、中学2年生から教わっていた師匠が東京在住だったからです。国文学科入学と同時に上京し、同じく三味線奏者の武田佳泉さんとデュオ「輝&輝(きき)」を結成しました。今も一緒に活動しています。
大学在学中は、青森から大阪まで依頼演奏に出向きました。3?4年生になると依頼が増え、授業や卒論執筆と両立しなければならないことが一番大変でしたが、ゼミの先生も応援してくださったので何とか頑張ることができました。
卒業して変わったことは何ですか。
最初は不安でした。学生時代のように受け身で依頼を待っているだけではいけないと思い、定期的にライブできる場を増やしたり、CD制作に力を入れました。2012年は初めてホールコンサートを実現しました。宣伝?チラシ作製?チケット販売?様々な手配はすべて自分たちで行っています。ライブに来たお客さんに「楽しかった」と言われるのが一番嬉しいですね。「上手いですね」よりも嬉しい。
ブラジルからCDの注文が来たり、ライブにメキシコ人留学生の方が観に来て「メキシコにいるときからYouTubeで観ていました」と言っていただくこともあり、驚きます。南米のペルー?ボリビアなど、海外で演奏することもあります。
これからの目標は、三味線をもっと多くの人たちの身近な楽器にすることです。また民謡の楽しさを若い方にも知ってほしいと思っています。
学生たちにメッセージをお願いします。
始めたことは続けることが大切だと感じます。悩んだときは、深く考えず一呼吸おくことも大事です。一度冷静になる。私も就職活動の時期に進路で悩みましたが、「輝&輝」の相方や家族の存在に助けられ、今の道を選ぶことができました。焦らずにできることを続けることで、おのずと夢や目標が見えてくると思います。
※ 本インタビューは『学園通信308号』(2013年7月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものを一部変更しています。