何かを犠牲にして人より努力できる者だけが、一流になれる
株式会社鹿島アントラーズFC スカウト担当部長 椎本 邦一 さん
- 株式会社鹿島アントラーズFC スカウト担当部長
椎本 邦一 さん - 1958年東京都生まれ。法学部法律学科卒業。卒業後は鹿島アントラーズの前身?住友金属工業サッカー部に入団。30歳で現役を引退した後、指導者時代を経て、鹿島のスカウト担当に就任する。Jリーグ創成期から長年にわたり、高卒?大卒の新人選手を発掘するスカウトマンとして活躍。現在も第一線で活躍中。
鹿島アントラーズのスカウトマンとして、今まで数多くの才能ある選手を見出してきた椎本さんに、色々なお話を伺いました。
サッカーを始めたきっかけは?
子どもの頃は、野球に夢中でしたね。当時は、スポーツができる人は野球をする時代。サッカーは教える人も少ない状況でした。でも、小学校6年生の時に、学校で一時的にサッカークラブができて、それがきっかけで始めたのがサッカーとの出会いですね。
そこから、サッカーを好きになって、中学校、高校でもサッカーを続けました。ただ、サッカーは好きだけど、勉強は嫌だったので(笑)、正直、大学に行く気はなかったんです。でも、高校3年生の時に、母親が監督から学校に呼ばれて「大学でサッカーをやらせていいですか?」と聞かれたので、親が「先生にお任せします」と応えて、それで決まってしまいましたね(笑)。
駒大ではどんな学生でしたか?
大学時代はサッカー一色の日々で、夏休みも合宿があり、毎日練習でした。僕が1年生の時に4年生でキャプテンだったのが、秋田浩一さん(現?サッカー部監督、総合教育研究部スポーツ?健康科学部門教授)で、すごく鍛えてもらいました。
学生時代で一番嬉しかったのは、3年生の時に関東1部に上がれたことで、逆に一番悔しかったのは翌年2部に落ちたことです。やっぱり負けたことの方が強く印象に残っていますね。
そんなサッカー漬けの毎日を過ごしていた時に、社会人リーグの住友金属が声を掛けてくれました。他のチームからもお誘いをいただいたのですが、最初に声を掛けてくれたことと、若いチームで良いなと思ったので、すぐにお世話になろうと決めました。
以降、鹿島一筋ですが、どのような経緯で現在の仕事に就かれましたか。
30歳まで現役を続けて、引退後はコーチとして指導者の道に入りました。コーチになって2~3年後、Jリーグ発足に伴い、チームもそこに参加することになった。チーム名も鹿島アントラーズとなり、育成部門を立ち上げないといけなかったので、僕はユースの監督をしながら選手集めもしていました。その後、新たに専門のスカウト部門を立ち上げることになって、人事異動という形で今の仕事に就きました。
スカウトという仕事の中で、苦労された点や、やりがい、大切にされていることなど教えてください。
最初の頃は、まずは試合に足を運んで顔を覚えてもらうのに必死でした。後に名将と呼ばれる監督たちも、最初はなかなか顔を覚えてくれなかった。選手がいない時も何度も通って、行く度に名刺を渡しました。でも、そういう方たちに鍛えられて、色々と教わったことが今に繋がっています。
僕は、高校?大学の選手のスカウトを担当していますが、毎年2月ぐらいに強化部で新人を採るポジションが決まります。その後、週末は全国各地に行って、自分の目で直に選手たちのプレーを見ます。良い選手は、技術力が高いのは当然だけど、大事なのはストロングポイントを持っているかどうか。そこで目に留まった選手の中から、声を掛ける選手を僕が決めます。鹿島では日本人の新人選手は僕に一任されており、当然、責任やプレッシャーはありますが、その分やりがいも大きい。
それと信用が一番大事なので、僕は良いことだけじゃなく本当のことを正直に言います。結局は人と人ですから、何度も足を運んで、信頼関係を作ることが重要で、それは一般企業の営業マンと一緒だと思います。
数々の名選手をスカウトしてこられましたね。
今まで僕が声を掛けて、47人の選手に鹿島アントラーズに来てもらいましたが、多くが日本を代表する選手に育ってくれました。例えば先日のロシアW杯には、鹿島関連で言えば、昌子源、植田直通、柴崎岳、大迫勇也の4選手が日本代表に選ばれましたけど、自分が関わった選手が世界の舞台で活躍しているのを見るのは嬉しいものです。ただ、それよりも何倍も嬉しいのが、来てくれた選手が初めて試合に出た時です。親心のようなもので、この仕事をしていて何より一番の喜びを感じますね。それに、鹿島アントラーズというチームに魅力があるから選手が来てくれる。僕はその橋渡しをしていると思っています。
最後に学生たちにメッセージを。
サッカーに関して言えば、何かを犠牲にしないと一流にはなれないと僕は思います。学生なら遊びにも行きたいでしょう。でも、「サッカーも、遊びも」と両方取ったら成功しない。プロという目標があるなら、何かを犠牲にして人よりも努力をする。それが好きなことのためだったら、できるはずです。
サッカー以外のことでも、こういう仕事に就きたいとか、何か自分の目標を持って、それに向かってやっていけば、大学生活がもっと楽しいものになるんじゃないかなと思いますね。
※ 本インタビューは『学園通信334号』(2018年10月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。