「巫者(ふしゃ)」という言葉をご存じだろうか。青森のイタコや、「カミサマ」と呼ばれる霊能者、また沖縄のユタなどを指す言葉として使われている。死者の霊を降ろしたりするミステリアスな宗教者と見られることも多いが、宗教社会学者の村上先生は、大学院時代から実践してきたフィールドワークを通じて、巫者を非日常的な過去の遺物として捉えるのではなく、地域の日常や依頼者の思いと響き合う存在として読み解きたいと語る。死者供養のありかたが移り変わりつつある現代社会において、巫者はどのように受容されているのだろうか。
異能の人ではなく
同時代を生きる生活者としての巫者
私は日本の民間信仰、特に巫者、いわゆる霊的な力を持つといわれるシャーマンやシャーマニズムについて研究しています。長年にわたり、青森県津軽地方のイタコやカミサマと呼ばれる巫者のフィールドワークを続けてきました。
イタコは死者の霊が憑依して、死者の口寄せを行う伝統的な巫者で、視覚障害のある女性が師匠の下で修行を積み、免許をもらいます。カミサマは、独自の霊感や体験などをきっかけに修行を重ねるうちに周囲の評判となり、依頼者が集まって実力を認められた巫者で、祈祷や占いを行います。津軽地方では古くから両者が共存してきましたが、近年のイタコの減少を受けて、カミサマも口寄せを行うなど巫者の世界にも変化が起きています。
津軽に通い始めたのは、駒澤大学の池上良正先生(現?名誉教授)の著作に出会ったからです。先生も巫者を研究対象としていますが、超越的なカリスマや異能の人という側面ではなく、客観的な記述でありながら、一人ひとりの人間性が伝わってくるように描かれていて、大きな影響を受けました。
フィールドワークを始めた当初は、巫者に対する好奇心もあったし、論文を書くには変わった事例を調査しなければと思っていた部分もありました。「話を聞かせてほしい」とアポイントなしで訪ねていったり、紹介していただいたりして話を伺う中で、彼女たちはごく普通の人で、さまざまな悩みや苦しみ、喜びの積み重ねで今の存在になったのだと実感できました。
カミサマから「あの時、観音様から力をもらった」と言われても、私にはその経験を完全には理解することができません。しかし、身が引き裂かれるようなつらい過去の語りには、本当に言葉に詰まり共に涙を流しました。度重なる不幸や病の解決を神仏に求めようと自ら修行を重ね、神仏の意思を伝える力を獲得してきたカミサマの人生の重さには共感できるのです。
フィールドワークを重ねる中で、「同時代を生きる生活者」として巫者を描きたい。地域社会との関わりや、依頼者とのコミュニケーションを通じての託宣など、日常の視点から巫者を見つめてみたいと考えるようになりました。
依頼者や寺社との関係性の中で
作られていく信仰の形
これまでの研究は、巫者が職能者としての知識や技術を獲得するプロセスを非日常的な神秘体験に求め、トランスや神秘体験、憑依といったキーワードで分析するものが大半でした。でも私は、巫者が祈祷や口寄せを依頼する人だけでなく、寺社の僧侶や神職など地域のいろいろな人との関わりの中で存在していること、巫者の語りが地域の暮らしや依頼者の期待を受け、対話を重ねるうちに強化され変化していくことに注目しました。
巫者は地域の霊場や寺社、祀られている神や仏に関する知識、その地域の民俗的な風土をもとに依頼者に供養や奉納の指示をします。その内容が依頼者や信者にとって未知で違和感のあるものであれば受け入れがたいでしょう。ある程度、地域で日常的に共有されているアイテムをベースに、信者からの依頼や要望を聞き取りながら、彼らの期待に沿って即興で語りを構成していくのです。
巫者は地域の宗教教団と対立しているわけではありません。近しい寺社に自分の依頼者の祈祷や供養をお願いする一方で、自らは就職や結婚などお寺や神社では解決できない身近な事柄の相談にのるほか、病や苦難の原因を探求しそのお祓いを引き受けます。このように、地域の中で人々と一緒にいろいろなことを実践する中で、巫者の世界は作られていくのです。
こうした巫者と地域社会の関係性は、民間信仰に限らず、あらゆる宗教に当てはまるのではないでしょうか。卓越した宗教的指導者でも、依頼者や信徒との対話の蓄積の中で変化していくことはあるはずです。変わることのない教義が最優先だと考えられがちですが、運用するのは生きている人間です。宗教は人と人との関係性の中にあって、それを離れて存在することはできません。「足腰の痛み」といった、目の前の人間の悩みに寄り添うことも必要なのです。
「日常の視点」から
宗教や信仰を考えていく
このように私は、宗教を考えるにあたって「日常の視点」を大切にしています。
日本人の中には「宗教なんて持っていない」「宗教と言われてもぴんとこない」という人も多いと思いますが、そういう人であっても、お正月には寺社に初詣に出かけるし、仏壇に手を合わせたり墓参りに出かけたりと、死者の供養は熱心に行っています。日本の信仰を考えるうえで、日常生活に埋め込まれている神仏や死者などの目に見えない存在との関わりは、曖昧で優柔不断で一貫しないところがあるのですが、最も重要で身近なものでしょう。そこを掘り下げていきたいと思うのです。
私は仏教学部にいながら特別な仏教的バックグラウンドがあるわけではありません。子どもの頃から宗派もよくわからないまま法事に出たり、神社に初詣に出かけたりしていました。まさに、多くの日本人と同じように、宗教について優柔不断で一貫性のない日常を過ごしてきました。日本の信仰の探究は、私自身の問題でもあるのです。
宗教学というと、「神様はいるのか」「正しい宗教とは何か」といった学問を想像するかもしれませんが、そういった問いは基本的には宗教学では扱いません。宗教を中からではなく、外からながめます。私の興味は、生活の中のふんわりとした宗教や信仰といったところにあり、文化人類学や民俗学の手法なども取り入れて、学際的で自由にアプローチしていきたいと思っています。
死者を遠ざけるより、手元に留めたい
変化する供養の形
日本の伝統的な死者供養は、儀礼を重ねることで死者の「成仏」を願います。イタコの口寄せも同じで、伝統的な口寄せは浪曲のような節回しや決まり文句を交えた独特な話し方をしますが、それは死者の言葉だからです。口寄せは死者との交流であるだけではなく、供養することによって死者をより遠いところに送る、死者を切り離すという意味がありました。
青森県五所川原市の「川倉賽(かわくらさい)の河原地蔵尊(かわらじぞうそん)」という霊場では、一部の遺族が供養のために花嫁人形を供えます。幼くして亡くなった息子に「入学の歳だから」とランドセルを供え、「嫁をもらう頃だから」と花嫁人形を供える。死後の幸せを願って、イタコやカミサマが「そろそろ、こうしなさい」と指南し、霊場もそれを受け止めて供養の場を設けます。死者はあちらの世界で楽しく暮らしているとイメージすることで、喪失の辛さを手放していったのでしょう。
一方、近年の日本の供養を見ると、死者をこの世に留めておきたがる傾向があります。最近は「手元供養」のような新しい供養の形が出てきたり、亡くなった子の部屋をそのままにしていつまでもそばにいることを願ったりする。
口寄せでも、最近の人は生きていた頃の故人の口調が聞きたいようで、伝統的な口寄せには「こんな話し方、おじいちゃんじゃない!」と拒否する人もいます。こうしてかつての伝統的な供養の形が共有できなくなると、死者を手放す方法まで分からなくなってしまうのではないかと少し不安になったりもします。でも、現代では現代なりの納得の仕方ができてくるのでしょう。
巫者は地域の死者供養を支えてきた存在でもあり、巫者の儀礼は人々に死者の安寧を保証するものでもありました。しかし、近年はイタコの担い手が急速に減り、その継承が案じられています。現代社会の変化のうねりのなかで、巫者が今やメディア向け、観光産業向けの存在になっている部分もあります。
津軽地方の供養霊場での花嫁人形も少なくなりました。しかし、供養として花嫁人形を奉納する実践は、戦後しばらくしてから流行しだしたものであり、そもそもそこまで古いものではありません。地域に埋め込まれた信仰の形は時代に即して変わり続けているのです。その変化を見ていくことで、現代人と死者との関わりの変容も見えてくるのではないでしょうか。
- 村上晶講師
- 筑波大学第二学群比較文化学類卒業。筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学?思想専攻修了。博士(文学)。2021年4月より駒澤大学仏教学部仏教学科講師。宗教社会学者として青森県津軽地方の巫者を中心に、日本の民間信仰と社会との関係性を研究している。主書に『巫者のいる日常』(春風社)、共著に『現代宗教とスピリチュアル?マーケット』(弘文堂)など。