多摩川左岸低地調査(2024年10月28日)
等々力渓谷周辺は道の起伏が激しく急な坂道が数多くあった。私は5年前に一度訪れているがその時は周りの地形など全く気にせずただ観光していた。ただ5年ぶりに訪れて当時と着眼点も変わり、渓谷なので両端の道が坂道になっているのは当たり前なのだが特に住宅街として開発されている地区では自分が今渓谷の中にいるという実感が湧かなかった。開発されていない渓谷内部も雰囲気が山の中そのもので本当にここは東京23区内なのかと感じた。
多摩川沿いも元々水田だった土地に住宅が作られていたり、多摩川や丸子川などの氾濫の恐れがあるにもかかわらずわざわざここに住んでいるということは、自然災害に関する知識が乏しい人々がこぞって住まっているのかなと考えた。私なら絶対にこの地域には住まないだろう。(よしけん)

多摩川左岸低地調査は,等々力渓谷から多摩川に向かっていく調査をした。歩いてみると,等々力渓谷の付近では,坂が多かった。理由として考えられるものは,河川争奪によって形成された渓谷であるため,谷沢川によって削られた谷地形なのかなと考えながら歩いていた。また,地層の変化も見て取ることができる。今回は関東ローム層等の地層がみられる写真を用意した。さらに多摩川に向かう際には,本来のルートと少し離れて,丸子川を上りながら向かった。丸子川は水文学実習でも訪れたため,六郷用水として作られたものであったことが今回の説明により,理解が深まった。(OS)

 

写真は等々力不動尊から少し西側の等々力渓谷で撮ったものである。川のすぐ側に石壁が作られているが、上部の方までコケが生えている。これは増水した際にこの高さまで水があった名残では無いかと考えた。5年ほど前の台風の後、二子玉川駅周辺は多摩川の増水対策を講じ始めたが、駅より東側の住宅地はまだまだ対策がされていない事が気になった。更に少し高級そうな住宅も新たに作られていたため、また同じような被害に遭いそうだと感じた。(りゅうた)

 

多摩川左岸を歩いてい見て思ったことはここまで自然が残っているのかということです。写真の通りに大きい杉に光があまり入らない道、古い電柱も本当に東京なのかと驚きました。また、気温も少し冷たくここまで変化するのかと驚きました。
(nettu)

 

この写真は等々力渓谷から少し下流にいったところで撮影した。谷沢川の水位の観測所のひとつである 矢川橋 から近く、水位を示す標尺が護岸に設置されていた。写真からも分かる通り、谷沢川は川底や側面が舗装されていた。そのため、舗装がされていない河川に比べて流量の変化が大きいのではないかと思った。
(TT)

 

等々力渓谷に行く際に降りた階段。その分上がるところがあるのかな?と思ったら。そのまま、まっすぐ行って、多摩川の合流地点まで続いていて、びっくりしました。写真は谷沢川多摩川の合流する場所です。土手の下を降りて川の側まで行って写真を撮りました。解散後二子玉駅を歩いたら凄く綺麗で栄えていて、とても水没するようには思えない街の作りでした。 川のそばでもあのように綺麗にしてしまえば人は来るんだなと思いました。(MM)

 

野毛の渡し跡の写真を選びました。現在の多摩川よりも遠い場所にこの石碑が立っていて、昔はもっと川幅が広がったからこの場所にあるのかと推測しました。感じたことは、今はGoogleマップなどの位置情報に頼りすぎて、紙地図を読むのが苦手になってしまったということです。紙地図を持って、出かけるのも面白いと思いました。(田沢)

 

明神池、竜神様の近くの排水路上の歩道上にあったコンクリートの出っ張りである。考察ではあるが、排水溝につながる排水路を隠すためのコンクリートの出っ張りであると考える。これは無理やり遊歩道を作ったことが読み取れるものになっている。(けんちゃむ)

 

二子玉川公園近辺では、新しいマンションなどの建設が進んでいる一方、住宅地の中にも、東京都の指定した生産緑地地区が存在していた。ここでは、ぶどうを育てていたようで、ここで育ったぶどうは地元で買うことができるのか気になった。
(いっし-)

 

西の空に雲がなければ、二子玉川公園からダイヤモンド富士がみられたはずでした。
上の写真は、2023年10月30日16時36分に撮影したもの。2023年の受講生はラッキーでした。
(担当教員)