令和元年東日本台風(~令和元年大水害~2019年台風19号)

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多摩川下流域の水害(玉堤?田園調布5丁目)

*桃色枠(現地を歩いて浸水跡などを確認したもの。国土地理院空中写真も参考にしています)

多摩川左岸低地が浸水しました。丸子川は江戸時代に作られた「六郷用水」で、台地の崖下を低地では比較的高いところを流れています。台風による大雨で多摩川が増水したため、等々力渓谷を流れ下る谷沢川の排水ができなくなって、谷沢川があふれました。東京都市大は図書館などが浸水被害を受けています。また、丸子川の水を多摩川に逃がす排水路も多摩川への排水が不能となったためあふれました。特に、丸子川と多摩川の間を平行して流下する排水溝周辺の浸水被害が大きいようです。なお、川崎側対岸の等々力緑地でも市民ミュージアムが浸水被害を受けています。こちらは旧河道です。作図には今昔マップ3を使用しました。

【矢沢川の水位】

谷沢川の水位グラフ(データ:東京都水防災総合情報システム)
等々力渓谷を流下する谷沢川の水位のデータです。渓谷出口の矢川橋の水位は12日13時頃より上下を繰り返しましたが、堤防天端(てんば)に達することはなかったようです。滝ノ橋は、谷沢川と丸子川(六郷用水)が交差するところです。12日21時頃に堤防天端スレスレまで水位が上昇しました。多摩川への排水を行う玉川樋管では、17時40分に天端を超えました。多摩川の増水により排水ができなくなったものとみられます。玉川樋管のデータは12日21時より欠測となっています。谷沢川(丸子川?)からあふれた水は世田谷区玉堤の低地に向かい、東京都市大学の図書館が水没するなどの被害が出ています。

【谷沢川丸山橋の様子】

東京水防災情報システム公開画像です
動画にしました。

場所は丸山橋、中町小学校の近くです
用賀のちょっと下流で、
等々力渓谷の上流になります。
玉川排水樋管の2.5km上流です。

12日6時頃急激に水位が増えました。
12日21時頃が最も水位が
高かったようです。


 

【等々力渓谷?谷沢川の様子】

等々力渓谷(谷沢川)の様子

台風上陸から8日後

何事もなかったように
見えますが、
説明板が下流側に
倒れていました。
等々力渓谷(矢沢川)の様子

台風上陸の8日後、

左岸石垣の上の木製の目隠しが
壊れている様子です。
水位は、石垣上部を越えたのでしょう。
ガードレールの
向こう側に
玉川排水樋管の建物が見えます。

多摩川が増水した際に
水門を閉めて
逆流を防ぎましたが、

谷沢川がこの場所で
あふれました。

金網に
引っかかっている
落ち葉の高さは、
最大で160cm位でした。

 

【多摩川左岸低地の被害】 

多摩川左岸低地の模式断面図

丸子川は、
江戸時代に作られた六郷用水です。

自然の川は低いところを流れます。
用水路はまわりより少し高いところを流します。
かつて多摩川左岸低地は水田でした。
東京都市大学

図書館を中心に
被害があったと
報道されました。

地下の教場の備品でしょうか
椅子が運び出されています。

こちらの浸水は
丸子川からかもしれません。

世田谷区玉堤

台風上陸8日後の写真です
水害ゴミが積まれています

近所から
「工事おわりました~」
「電気つかえます」
「そう。ありがたいわね」

という会話が聞こえて
来ました。


八幡神社下
道路脇に集められた水害ゴミ

緑の欄干は多摩川への放水路
流水はここより350m下流で
多摩川に放流されます。

多摩川増水により
排水ができなくなって、
放水路周辺であふれてしまいました。

放水路であふれた水が、
前掲の排水溝にも
流れ込んだようです。
丸子川放水路水門

この水門を開けば、 
多摩川への出口を失っている
放水路の水量がさらに増えますし
水門を閉じれば、
丸子川もあふれてしまうような
状況だったかと推察されます。

丸子川?大田区田園調布4丁目

下流に向かって撮影したものです。
左側が台地の崖(ハケ)です。


前方の信号は
玉堤通りとの合流交差点です。

左側の草に浸水跡が確認できます。

5日後に撮影
排水溝?田園調布5丁目

丸子川と多摩川の間に
平行して排水溝があり、
低地で最も低い場所です。

この排水路の周辺で
浸水被害が起きているようでした。

5日後に撮影
摩川左岸低地の様子

洗濯機や冷蔵庫、ソファー、畳など
水害ゴミから
床上浸水だったことがわかります。


水位観測所(田園調布下)

東横線の橋のすぐそばにある水位観測所です。
写真は台風上陸の翌日、
多摩川左岸の堤防上から撮影したものです。

水位観測所の白い建物には、
鉄製の通路が作られていますが、
そこに流木がからまっています。

ここでは多摩川はあふれませんでしたが、
ギリギリのところでした。