10月28日(月)実施。多摩川左岸低地野外調査(等々力→二子玉川)

等々力渓谷を下り、令和元年東日本台風で浸水した地域を歩きます。
10月28日15時10分 等々力渓谷入口(ゴルフ橋)集合
 ?スーパー「成城石井」裏です(写真
  東急バス時刻表
  駒沢公園西口14時36分→等々力14時50分
  駒沢公園西口14時50分→等々力15時04分
  ※等々力駅?等々力バス停から集合場所まで徒歩2~3分程度です。
②大雨でない限り、雨天でも実施します。
③この日は4限~5限で実施します。5限の欠席届希望者は連絡してください。
   (ワード版欠席届は(こちら)、空欄を記入して、持ってきてください。ハンコを押します)
地理院地図はこちら。グーグルアース用KMLはこちら
⑤歩行距離は約3kmです。二子玉川公園で16時40分解散予定です。
 二子玉川公園から東横線二子玉川駅まで徒歩10分程度です。
⑥歩きやすい靴で参加してください。
⑦持ち物の指定はしませんが、地図と野帳は必要ですね。(コース地形図
⑧歩きながらの飲食禁止。
⑨写真撮影は、住民のプライベート空間にレンズを向けないように
調査中は、自動車などには十分に注意し、事故には遭わないように。
?10月28日に参加できない人は、別の日に自分だけで歩いてみるのも可。
?10月28日に休む人は、事前に連絡をください。
?中止とする場合は、WebClassのメッセージ機能でお知らせします。

事前課題

実際に歩くルートを地図上で確認しておいてください。

報告課題

 意図を持って写真を撮影し、WebClassから1枚だけ提出してください。
 どんな写真でもいいです。これぞ!という一枚を提出してください。
 写真の説明文もWebClassから入力送信してください。
 多摩川左岸低地を歩いてみて、見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと、調べたことなど。

野外調査ルート地図

自由行動としますが、チェックポイントは必ず通ってください。ニックネームの確認をします。
※等々力渓谷は倒木により、2023年より立ち入り禁止になっています。
 2024年は、迂回ルートを利用します。

15時10分 (集合)等々力渓谷入口ゴルフ橋(写真 等々力成城石井の裏です。
15時35分 多摩堤通り土手下(写真 ここは浸水したところです。早く着いたら水門をみてきましょう。
15時55分 第三京浜ガード下(写真 早く着いたら丸子川を見てくるのもいいでしょう。
16時15分 二子玉川公園眺望広場(スタバ?写真 全員が集まってから解散します(16時40分頃を予定)。
上図:地理院地図(標高色別彩色図)、オンマウスで旧版地形図(1906年)
下図:洪水浸水想定区域(重ねるハザードマップ)、温マウスで明治前期測量2万分1フランス式彩色地図(1881年)

?不動の滝
 龍の口から水が出ています。昔はたくさんの水が湧き出してその音が「とどろく」ほどだったのでしょう。
 龍の口から下の地層が固くしまった渋谷粘土層で不透水です。その昔、この場所が海だった証拠です。
 龍の口の上が武蔵野礫層で透水層です。その昔、この場所に多摩川が流れていた証拠です。

?六郷用水懸け樋跡
 丸子川は自然河川ではなく、江戸時代に作られた「六郷用水」です。用水路なので低地でも比較的高所を流れています。
 六郷用水と谷沢川が交差するところは、用水が川の上を越えていたそうです。これを「懸け樋(かけとい)」といいます。
 ちなみに、川の下を用水をくぐらせる場合は「伏せ越し(ふせごし)」といいます。
 現在、丸子川の水はそのまま谷沢川に合流しています。
 ここより下流の丸子川には、谷沢川からポンプアップして水を流しています。

?玉川排水樋管(たまがわはいすいひかん)
 大雨によって多摩川が増水した場合に、支流の矢沢川に逆流しないように水門を閉めることになっています。
 令和元年東日本台風の際にはしっかり水門が閉められたのですが、谷沢川の方があふれてしまいました。
 水害の後、水が引いてから撮影した写真です(こちら)。場所はチェックポイント「多摩堤通り土手下」のすぐ近くです。
 フェンスの落ち葉の様子から、谷沢川の水位が推定できます。

?野毛の渡し跡石碑
 旧版地形図で確認できますが、1955年頃まで渡し船がありました。石碑は道路の分岐点、駐車場の角にあります。
 石碑は小さいので注意していないと見落とします。
 江戸時代初期の多摩川は大きく蛇行して流れ、上野毛も下野毛も多摩川の左岸だったようです。
 江戸時代(17世紀中頃)に洪水もしくは河川改修によって多摩川の流路が変わり、
 上野毛が左岸世田谷側、下野毛が右岸川崎側となったようです。なお、川崎側にも記念碑があります。

?明神池竜神様
 野毛三丁目の緑道付近は、多摩川の旧河道であり、多摩川左岸低地では低い場所です。
 かつては明神池があったことが、旧版地形図や明治前期2万分1地形図で確認できます。
 元々明神様が祀られていたようですが、急速な宅地化で失われてしまっていました。
 1975年に地元の有志の皆さんが祠を再建しました。
 ちなみに、土石流や洪水の被害地域に「竜」の地名がつけられることがあります。
 洪水時の川の濁流を竜に見立てたものとみられます。

?二子玉川公園
 人工的な盛土によって作られた公園です。
 多摩川左岸低地よりも10mほど高く、多摩川があふれても水に浸かることはありません。
 屋根がないので避難場所には指定されていないようです。