地理空間情報の未来図―地図が導く次世代DXへの歩み―【後編】
文学部地理学科 瀬戸 寿一 准教授
-「OpenStreetMap」の事例は、先生が研究されている「参加型GIS」に近いのでしょうか。
OpenStreetMapの取り組みは「参加型GIS」の中でも「ボランティア地理情報」と呼ばれる事例の代表ですね。このプロジェクトには、2023年7月時点で1000万以上の編集アカウントが登録されており、そのうち日本で活動するアカウントも約3万5千以上が登録されています。
いつでも、どこでも、誰でも世界地図が作れる、「地図のWikipedia」とも呼ばれており、「Mapper(マッパー)」といわれる人々が、建物や道路などといった衛星画像で得られる地図の要素(地物)を把握し、あるいは現地調査で得られた地物を集めて、OpenStreetMapの編集ページ上に入力します。例えば、建物や道路の形状だけでなく、建物の階数、植栽やベンチ、消火栓の位置といった細かな情報まで、基本的には一つずつ手作業でマッピングすることができます。
OpenStreetMapは2004年にイギリスで始まったプロジェクトで、公式サイト上で閲覧できる標準地図のデザインはイギリス式の地図表現に概ね合わせて配色や視覚表現が行われています。そのため、日本の他の地図と比べて見慣れない印象を最初は受けるかもしれません。私が2000年代後半にロンドンの街中で案内地図を見た際、このような見た目の地図が一般的だったのですが、日本でよく見かける地図とは異なるデザインですよね。
また、OpenStreetMapはオープンデータとして提供されているため、利用者は用途に合わせて自由に色やデザインを変更した地図を作成することができます。そのため、白黒にしてみたり、自分好みの色に変えたり、ゲーム感覚で自分の好みに合わせてカスタマイズすることが可能です。さらに、海外ではこのデータを使ってハンカチなどのノベルティを作成して販売する企業もあります。
最初は、イギリスにおいてコストや利用規約面での制約が多い中、地図空間情報をフリーで誰でも使えるようにしたいと始めたのがきっかけだったのですが、今や1000万人以上のMapperが関わってくると世界各地の情報が埋まってきますし、ビジネスで活用したい企業も現れてきまして、報道関係や、SNSサービスの背景図、自動車関係ではカーナビゲーション用の地図で活用する事例が増えています。
-さまざまな機関に活用されているのですね。まるで基盤システムのように感じます。
民間企業がデジタル地図を導入してサービスを行う場合は、サービスに求める地図の精度やその取得コストが第一になりますので、自由に使えるところは大きなメリットですね。また、近年では国際連合やNGOなどの人道支援活動を行う機関でも積極的に使われています。災害に備えて基本的な地図をあらかじめ整備しておくことで、迅速に災害対応ができるようになりますし、例えばアフリカのように、国がそもそも地図を持っていない地域もありますので、そのような事情を持つ国においては、かなり強い力を発揮します。
-技術支援をする形で、地図空間情報の整備の動きが広がっているのですね。
日本の技術支援においても、国際協力機構(JICA)では長年デジタル地図を作る技術の支援を続けていますが、現実空間は移り変わっていくので、地理空間情報は常に更新していかなければいけないわけですね。
また、大地震が起これば大規模に建物が失われることもありますし、近年多発しているような、水害の場合も、浸水範囲の地図を迅速に作らなければならないでしょう。そこでOpenStreetMapの活動スキームを基に、事前防災あるいは災害が起こった際に集中的にマッピングを行う「クライシス?マッピング活動」と呼ばれるプロジェクトが、非営利組織の「Humanitarian OpenStreetMap Team」(※1)を中心として行われています。これは2010年に発生したハイチ地震をきっかけに世界的に活動が広がり、2011年に発生した東日本大震災でも、日本だけでなく世界各地のMapperが多数参加して震災前後の地図作成に関わりました。
※1 Herfort, B., Lautenbach, S., Porto de Albuquerque, J. et al. The evolution of humanitarian mapping within the OpenStreetMap community. Nature Science Report 11, 3037 (2021).
災害発生に伴って活動する場合は、OpenStreetMapと協力関係にある企業などから提供される詳細な衛星画像からダメージを受けている建物や土地を推定しマッピングします。これらのデータは、例えば「国境なき医師団」など、現地で災害対応される専門家チームがスマートフォンアプリや大判の地図に印刷するなどして用いています。
-災害支援活動や、人道支援活動にまで繋がるお話までお伺いできるとは思いませんでした。
そもそも地理情報システム(GIS)は、1960年代にカナダの森林管理?農村開発のシステムとして構築されたと言われており、その後都市計画や不動産流通、マーケティングなどの場面において、主に専門家のためのツールとして開発されました。日本では1995年の阪神?淡路大震災を契機に本格的な導入が開始され、2007年に「地理空間情報活用推進基本法」の施行を受けて、地図や地理関係以外の色々な業界や一般の方にも広く使われるようになってきたのですが、GISの研究や実務利用を進めていく中で、なかなか一般市民の方が気軽に使えるようにはならない課題があったのです。
その中で研究者間で大きく議論になったのが、「参加型GIS」といわれる、市民参加の手法にGISを用いる取り組みでした。例えば専門家が使うシステムのインターフェースをより分かりやすくして、都市計画など市民参加の現場にGISを導入することが大事ではという研究が、1990年代の欧米での研究を皮切りに始まったのです。地理情報システムの研究の歴史は50年近くあるのですが、参加型GISは比較的若い分野といえます。なので、当初はノウハウの少ない中、まちづくり活動でGISを使っている実践事例を広く集めることで、分野の確立を進めてきました。海外では参加型GISのムーブメントもあって、海外では2000年代中盤以降、研究雑誌の特集号や書籍などが多く発行されたりしました。
Google Mapsのイノベーションと同じくして、参加型GIS研究を躍進させるきっかけとなったのは、Webブラウザで使えるGISが普及し、OpenStreetMapを始めとする多様な地図がオープンに公開されてきたことです。また、Wikipediaやブログ、SNSの登場により、地図を扱うことができる専門家が一方的に発信するのではなく、それを受け取った市民が同じくWeb地図上で自由に表現できるようになり、相互にコミュニケーションが生まれたことが、参加型GIS研究するうえで大きく貢献することとなりました。
私自身は、参加型GIS研究で2012年に博士号を取ったのですが、英語圏に比べて日本ではまだまだ研究者が少ないので、一緒に研究するさらに若い世代の研究者を育てていきたいモチベーションを持っています。今までの参加型GISは2次元のデジタル地図で行われてくることが多かったのですが、PLATEAUのように3次元的な表現方法を活かして、新たな参加型GISの展開が期待されるかもしれません。
-授業でOpenStreetMapなどの動向について紹介したときの学生の手応えはいかがでしょうか。
「高校までの地理の授業で実際に使ったこともあっても、その作られ方や新しい方向性までは知らなかった」などといった、素直な感想が挙げられています。それから、地理学の中でも特に私の分野は社会地理学になるので、実社会での活用や、人道支援活動など社会課題の解決に直結する地図の使い方についてもイメージしてもらい、いい意味で衝撃的だったとのフィードバックもありますね。授業の中でもOpenStreetMapを使ってどういう意義があるかについてレポートしてもらったりもしますが、「こういう使い方があるのでは」とか、それこそ人道支援活動でも「こういう局面や意義があるのでは」と考えてもらえているので、関心は高いと思います。
-めくるめく地図の世界ですが、ビジネス、インフラ、人道支援活動に繋がっていくとなると、地図の立場はもはや、一言で語れないですね。
地図学的な観点ですが、これまでの地図は位置に関する情報を現地調査などで集めた上で、配色や記号化されたプロダクトとして一枚の紙や冊子に出力することで、例えばガイドブックを使った旅行の計画や、都市計画図を用いた計画立案など、地図そのものを介したコミュニケーションがされていました。
他方、今日のPLATEAUなどは、データに対して正確な位置座標を有することで地図そのものとなり、これらがWeb上のプラットフォームに蓄積されることで容易に繋がるようになりました。
紙地図での表現方法も、これまでは時間として固定した状態で示さざるを得なかったものが、さまざまな地域的な背景を持った全世界の人々が、同時に同じデジタル地図データにアクセスしながらコミュニケーションを行い、タイムリーにデータを動かせるようになったことが大きな変化だったのではと思います。
-地理空間情報を取り扱うことが、本当にさまざまな分野に波及していると感じます。先生は研究者の輩出も期待されていらっしゃると思いますが、地理学科の学生さんはいろんな可能性を持って大学の学びを活かせるようになるのではないかと思います。
私も前職で、複数の大学や民間企業との共同研究もしていたので、自分の研究を一緒に取り組んでくれる頼もしいパートナーを増やしたい意欲はもちろんあるのですが(笑)、駒澤大学には大学院に進学して研究者になりたい学生もいれば、地図系の民間企業を目指したい学生もいますし、フィールドワークを学んだので将来は地元に帰って貢献したいといった故郷に対して意欲のある学生もいて、多様なんです。
駒澤大学は私の母校ということもあって、そういう学生を目にしていると、皆さんには研究の道に限らず、自分の関心や業務にデジタル地図を掛け合わせて、新しい活用や可能性を広げてもらいたいなと思っています。
自分の就職や進路を考えるうえで、地理学科に所属していても地図の学びは業界?業種として関係ない、みたいに捉えられることもあるんですが、地図を全く使わない企業って、今やほとんどないと思うんですよね。地理学科の学生に対しては地理学で学んできたことは最大限、どこに行っても活かせると思いますし、他の学科の皆さんでもデジタル地図を日常生活で使っているということを踏まえて、興味をちょっとでも持っていただくと、意外と自分の専門分野で使える可能性や興味につながることがあるではと期待しています。
逆に、他分野の皆さんからも新しい活用や研究の可能性を持ち込んでほしいぐらいです。「デジタルネイティブの世代からすると、地図はそういう風に見えるのか」っていうような。我々の研究分野や現在の教育活動の中だけでは限界もあるので、ぜひ可能性を示してほしいなと強く感じます。
- 文学部地理学科 瀬戸 寿一 准教授
-
2002年駒澤大学文学部地理学科卒業。2004年東京都立大学大学院都市科学研究科修士課程修了。同年立命館大学文学部実習助手、2006年?2009年3月立命館大学?専任講師を経て2012年立命館大学?大学院文学研究科博士課程後期課程修了、博士(文学)。2012年立命館大学?専門研究員?ハーバード大学地理解析センター客員研究員。2013年東京大学空間情報科学研究センター(CSIS) 特任助教、2016年4月より東京大学空間情報科学研究センター?特任講師。2021年4月より現職(東京大学CSIS?特任准教授/放送大学?客員准教授)。
専門分野は、社会地理学?地理情報科学で、参加型GISやシビックテック?データガバナンスに関する研究に従事。現在、スマートシティ官民連携プラットフォーム「3D 都市モデルの整備?活用促進に関する検討分科会」委員、 不動産ID官民連携協議会?オブサーバー、東京都における「都市のデジタルツイン」ユースケース創出に向けた検討会?委員 、国土地理院「測量行政懇談会?基本政策部会」委員、総務省地域情報化アドバイザー、OSGeo日本支部運営委員(OSGeo Foundation Charter Member)、Code for Japanフェロー、(一社)社会基盤情報流通推進協議会理事、等を務めている。