医用工学を追求する情熱 その根底には「人へのやさしさ」が息づいている。
瀬尾 育弐 名誉教授
「患者さんのことを第一に考え、人にやさしい装置をつくる」
先輩から受け継いだ言葉を忘れたことはない。
著名な医療工学者である瀬尾名誉教授の足跡をひもとくこと。それは、超音波診断装置の進化と日本における普及を知ることでもある。
多くの実績をもつ医療技術者が優れた診療放射線技師を養成
瀬尾名誉教授は、超音波診断装置など医療技術の研究?開発で数々の実績を打ち立てた医療工学者であり、2005年には「腹部用超音波血流イメージング装置の開発」によって紫綬褒章を受章している。一昨年まで、医療健康科学部で診療放射線技師の養成を行い、現在も乳がん検診システムの画質を高める研究を続けている。
超音波診断装置、普及のカギはセンサーの技術と高い画質
1975年、瀬尾名誉教授は東京芝浦電気(現:東芝)に入社し、超音波診断装置の研究?開発を始めた。
当時、この装置は診断に使える画質ではなかったため、日本ではほとんど普及していなかった。開発に向けての難題は、「センサーの技術をいかに高めるか」だった。この課題に取り組み、1977年頃からリアルタイムの画像を映し出せるようになったため、急速に医療現場へ普及していった。そして、1985年頃からのデジタル化が画像の精度を高め、画像処理もしやすくなった。
「見えないものを可視化する」 その面白さが情熱を突き動かす
2005年頃よりMRIの研究?開発を手がけるが、そこには「虚血性心疾患で命を失う人を減らしたい」という想いがあった。「冠状動脈の詰まりを早期発見するために超音波の研究をずっとやっていましたが、うまくいかなくて。超高速のMRIならできるかもしれない、と思って取り組みました」と振り返る。
研究を続ける理由は、「見えないものを可視化する」ことの面白さに魅了されているから。「見えないものが見えたりするとね、それは面白いですよ。今度は『血液の流れを可視化してやろう』とか、どんどん研究意欲が湧き出てくるんです」と微笑んだ。
さらに、東芝時代の先輩から教えられた「患者さんのことを第一に考える」という言葉を胸に刻み、開発を続けてきたのだという。
近年は乳がん検診超音波システムの研究?開発を行ってきた。「人にやさしい装置をつくる、それが大事なんです。例えば、マンモグラフィーという乳がん検診装置は女性に苦痛を与えてしまいます。一方で、超音波システムは患者さんに苦痛がなく、特に若い女性の乳腺組織の中の腫瘤がわかりやすいという特長があります。
しかし以前は、マンモグラフィーでの検査が主力、という時代だったんですね。今、やっと時代が変わってきました。患者さんが苦痛を感じることなく、しかも早期発見できる装置を目指したい」と語る。
失敗からのアプローチを考える その重要性を学生に教えたい
診療放射線技師でも乳がん検診ができるシステム開発を目指している中、「乳がん検診の受診率を高めたいわけですが、現在、医療現場では超音波検査技師の数が足りていないため、女性にやさしい超音波システムでの検診が行き渡りません。超音波検査技師の能力が病気の発見を左右するため、診療放射線技師でも的確に検診できる超音波の自動検診機器が必要だと思っています」。
そのために、乳がん検診システムの画質を上げる研究を行い、医療技術の進化につなげようとしている。
「研究の9割は失敗。でも、失敗からのアプローチを考えることが人生においても大事です。9割の失敗を1割の成功に活かしてほしい。それを学生たちに伝えたいですね」と結んだ。
- 瀬尾 育弐 名誉教授
- 1975年慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程を修了し、東京芝浦電気株式会社(現:株式会社東芝)に入社。1998年東芝医用システム社医用機器?システム開発センター超音波開発部主幹、2003年東芝メディカルシステムズ超音波事業部超音波開発部主幹を経て、2005年東芝医用システムエンジニアリング参事を務める。同年、紫綬褒章受章。2007年駒澤大学医療健康科学部教授となる。2017年駒澤大学名誉教授となり現在に至る。文部科学大臣発明賞(2003年)、文部科学大臣賞(2004年)など受賞多数。
※ 本インタビューは『Link Vol.9』(2019年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。