駒澤大学所蔵外邦図展「終戦前後からみる外邦図」(2009.09.24~10.07)
Date:2009.09.24
会期 | 2009年9月24日(木)~10月7日(水) ※9月16日(水)より先行公開 |
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共催 | 駒澤マップアーカイブス?応用地理研究所 |
第二次大戦と聞いて皆さんは何を想像するだろうか。おそらく地図やその作製技術、測量?作製機関を守り、また身の危険の中地図測量をした人がいたことなど思いもしないかもしれない。われわれが目の前にしている駒澤大学所蔵の外邦図も、このような人々の努力のもと、戦火や焼却処分を免れて今日まで保存されたものである。今回の展示では、測量技術?機関、外邦図を守ろうとした二人の人物と国外において測量活動をした技術者の一部を取り上げ紹介する。
開催にあたって
駒澤大学には1万枚を超える外邦図が所蔵されており、これは日本の大学としては五指に入る。しかし、長らくその価値が認識されず、未整理のまま保管されてきた。2004年、学内に放置されているこの貴重な資料の存在を知った有志の学生は、「駒澤マップアーカイブス」を組織し、駒澤大学が所蔵する外邦図の整理や研究を行なってきた。文学部地理学科の中村 和郎先生(現名誉教授)、佐藤哲夫先生、博物館学講座の太田 喜美子先生、そして応用地理研究所のご支援のもと、駒澤マップアーカイブスのメンバーは、外邦図の整理を進めるとともに、学術刊行物に文章を発表したり学内外の研究会で活動状況を報告してきた。
さらに昨年、禅文化歴史博物館において、「秘密の地図展示中─駒澤大学所蔵外邦図展─」(会期:2008年5月12~30日)と題する展示を行ない、駒澤大学が所蔵する外邦図を紹介した。幸いこの展示は好評を得て、会期を延長させていただいた。
そしてこの度、禅文化歴史博物館の再度のご協力のもと、「終戦前後から見る外邦図」と題して、駒澤マップアーカイブスの2回目の展示を開催することになった。今回は、外邦図の作製や保存の過程に着目して、関連する人物や機関を紹介するとともに、駒澤大学所蔵の外邦図と関連地図のなかから、このテーマに結びつくものを選んで展示した。
軍事目的で作製された外邦図には戦争の負の遺産としての側面があるが、一方で、当時の自然環境や集落分布、景観の様子などを知ることができる貴重な資料でもある。さらに、近年の研究の進展にともなって、軍事史や測量技術史などの学問分野においても、外邦図の資料的価値が認められつつある。今回の展示が、駒澤大学所蔵外邦図について理解を深めていただく一つの機会になれば幸いである。
駒澤マップアーカイブス顧問
駒澤大学文学部地理学科 准教授 高橋 健太郎
展示概要
第二次大戦前後を展示テーマの中心とし、外邦図やその測量?作製機関を守った人物を駒澤大学所蔵の外邦図とともに紹介。また、多田 文男氏所蔵のフィールドノートや兵要地誌なども併せて17点を公開。
- 企画展示室1 「外邦図とは何か」
清国山東省、合水、古站洞、伯都訥、大營鎮、多田文男氏フィールドノート(熱河朝鮮調査) - 企画展示室2/3 「歴史の裏の立役者」
木更津、摩周湖、貝爾湖、KARTOSOERO、CEYLON
『伊豆諸島兵要地誌資料其ノ一 大島』、『第一次満蒙学術調査研究団報告(第三部)』、『内蒙古渾善達克砂丘地帯の学術調査』 - 企画展示室4 「駒澤マップアーカイブスの活動」
札幌、地理調査所所員へのインタビュー - 回廊 ワイパフ、ANGKOR
外邦図とは何か
外邦図とは、日本軍によって作製された近隣諸国の地形図である。その作製範囲は、朝鮮や台湾、樺太、満州といった日本が統治した地域のほか、シベリア、インドを含むアジア大陸内奥部、太平洋のほぼ全域とオーストラリア、北米にまで及んだ。外邦図は軍の作戦上の必要から作製されてきたが、日本が統治していた地域の一般図や百万分一東亜輿地図等の小縮尺編纂図も外邦図に含まれる(長岡 2009 参照)。
日本による国外地域の測量?地図作製の歴史
日本における地図の測量?作製機関は1871(明治4)年に兵部省参謀局が設置されたことに始まる。その後陸軍省参謀本部、参謀本部測量局という変遷をたどり、1889(明治22)年に参謀本部陸地測量部が設置され、この体制が第二次大戦終了時まで続いた。これらの機関が中心となり外邦図などの地図が作製された。日本による国外での測量や地図作製も同時期に既に行なわれており、朝鮮や北支那において測量隊員が薬売りや行商人を装って秘密測量を進めていた。1895(明治28)年の下関条約以降の台湾や1910(明治43)年の韓国併合後の朝鮮半島では、日本の主権が及ぶようになったことから詳細な地形図が作られるようになった。台湾での測量では陸地測量部によって、朝鮮では朝鮮総督府内の土地調査局によって内地と同様の測量が進められた。また、1932(昭和7)年建国の満州国においても実質的に日本の傀儡政権であったために、陸地測量部および関東軍測量隊によって外邦図が作製された。昭和10年頃からは空中写真測量の実用化が進み、満州においては日本に先駆けて空中写真による地図作製が行なわれるようになった。
日中戦争が勃発すると戦地での作戦遂行のために外邦図はより重要な役割を負うようになる。作戦立案用にグリッドを加えるなど、それ以前に製版された地図に修正を加えて発行したり、中国南部や、イギリス領インド帝国、オランダ領東インドなど日本軍が進軍していった地域では、現地機関作成の地図を略奪し表記を一部日本語に改変し複製した。
外邦図が戦争に利用されたことは事実であるが、一方で地図、軍事、環境、地域研究などに関する諸学問分野で貴重な資料として利用が進みつつある。本展示「終戦前後から見る外邦図―歴史の裏の立役者―」では外邦図の作製と保存に関わった人々に注目し、その取り組みを紹介した。われわれが目の前にしている駒澤大学所蔵の外邦図も、このような人々の努力のもと、戦火や焼却処分を免れて今日まで保存されたものである。本展示が外邦図への理解を深める契機となれば幸いである。
※この展示は、企画展示室利用募集への申請に基づき行なわれました。